初めまして、すなおたまき(@office_sunao)です。
2018年東京から広島県江田島市へ家族4人で移住してきました。
現在は2人の男の子を育てるお母さんをする傍ら、フリーランスのWebライターをしています。
また、2019年10月より江田島市初の民間ベビーシッターとして開業しました。
- お母さん×男児子育て
- お母さん×移住(江田島市関連の子育て情報)
- お母さん×社会・暮らし(子育てしやすい社会、暮らしに関連した情報)
- お母さん×健康(ヨガ・空手など)
- お母さん×ベビーシッター
また、私は現在6歳4歳の男児2人の子育てに日々奮闘しています。
そのため私自身の経験をふまえつつ、男の子の育児についてもお伝えできればいいなと考えています。
雑記ブログとしてお読みいただけると幸いです。
主な業務内容
- フリーWebライター
- 当ブログ運営
- メールマガジンやクラウドソーシングサイトにて記事執筆
- フリーランスベビーシッター
実績
- 江田島市観光戦略チーム「一歩」メンバーとして江田島市の観光ガイドブック作成(ライティングチームとして記事執筆に参加)
- 江田島市広報へ寄稿(2~3ページ 地域の想いを一つに!江田島市観光戦略チーム「一歩」の取り組み)
- メールマガジン「まちづくりひろしま」コラム寄稿
- 市民情報サイト「こみみ江田島」記事寄稿
- 2019年10月~江田島市初の民間ベビーシッターとして開業(キッズラインほか)
プロフィール
縁あって、広島県の江田島市という島に2018年春に家族で移住してきました。

出身地
東京生まれ東京育ち。
結婚してからは神奈川県川崎市に住んでいました。
二子玉川やJR南武線沿線によく出没してました。
趣味
- アシュタンガヨガ
独学で始めたのち、アシュタンガヨガを教えてくださる先生と出会いました。
始めたきっかけは、ミーハーですが更科有哉さんをテレビでお見かけしたからです🍀
身体が硬いので目下悪戦苦闘中…。でも、ヨガを始めて身体と心に変化がありました!
こちらもご覧ください→ https://sunaotamaki.com/ashtangabeginner
- 極真空手
長男が生まれるまで、前職は空手の先生でした。
下は4歳~上は70代までの教え子がいたのです。
当時幼稚園だった子たちが今では成人しました!
競技選手としても10年程、自身の最高成績は体重別の世界大会3位でした。
極真空手を始めたきっかけは塚本徳臣選手、フランシスコ・フィリオ師範に憧れて…またここでもミーハー🍀
空手道場の職員・指導員として、子どもたちを中心に、空手の指導を長くさせていただきました。
そのおかげで子育てや自分自身の日常生活にもその時に得た知識と経験が生きています。
「自己肯定感」と「自分を信じる力」は空手の神様からいただきました。
- 音楽
Cocco、星野源、竹原ピストル、PE’Z、東京スカパラダイスオーケストラ、BONNIE PINK、ケツメイシ、RIP SLYME、Spitz、Perfume、マイケル・ジャクソン、三浦大知など🍀
- 読書
自己啓発系、心理学、文章読本を最近よく読んでいます。小説は重松清さん、湊かなえさん、宮部みゆきさんのものが好きです🍀
- ヒーロー活動(特撮沼(笑))
子どもたちの影響で仮面ライダーとウルトラマンの知識が増えました。子どもと一緒に自分も楽しむ、俳優さんにハマったり意外と面白いです!
- 子育て・生んだはずのない長男も?
3人の暴れんBOYS(6歳、4歳の兄弟、と夫)と過ごす時間は大変だけど、楽しいです。
未婚or既婚?
既婚です。7歳年下の夫がおります。
現在は江田島市の地域おこし協力隊として働いています。→
家族構成
上記と重複しますが、夫、子供達2人(男児)、私の4人家族です。
男3人は、マジでパワフルです。毎日空手か相撲かプロレスかケンカ(笑)しています。自宅は常にぐっちゃぐちゃです…苦笑
以前は子供達にどうやったらお片付けさせることができるのか…と悩んでいましたが、最近は「一緒にお片付けしよう」と持ち掛けると一緒にやってくれるようになりました。
夫のやりっぱなし、散らかしっぱなし、脱ぎっぱなしなどあらゆる「○○しっぱなし問題」は未だ解決せず…。注意すれば怒るし。じゃあやってよ!ってなもんです。こちらもっぱらの悩みです😊
年齢
ヒント:2020年で41歳になりました!
ブログを始めたきっかけ
ここからは私の個人的な話です。
私自身も2人の子育てをするお母さんです。
移住してくる前から子育てをしながらわが子たちの成長を一番近くで見守りながらできる仕事をずっと探していました。
ですが、首都圏では保育園に子供たちを預けるにも仕事が無いと門前払い。
仕事を探すにも、保育園など預け先がないと門前払い。
こうした八方ふさがりの状況を経験しました。
前の職場(空手道場)に戻ろうにも、子供たちのスケジュール(20時には就寝)と道場のスケジュール(放課後~深夜23時まで営業)には隔たりも大きく、そんな遅い時間に子どもを預かってもらえる場所もなく、「そもそもそこまでして復帰すべきなのか?」と悩みました。
結局復帰は叶わず、天職だと思っていた空手の先生を諦めることに…。
この時の葛藤やストレス、社会から取り残されたような孤立した感覚は、今思い出しても辛いものです。
子どもと一緒の時間も本来ならば楽しいはずなのに、楽しいと感じることが難しい時期でした。
子供がいなければフィットする社会でも、子供ができた途端全然違う社会になるんだなと思いました。はっきり言って「子育てするには不向きな社会」でした。
望んで産んだ子供なのに、子供たちのせいにして、何かを犠牲にしながら我慢しながら生きるってしんどいなと。
私自身が考えていた子育てとは程遠い現実が待っていたのです。
江田島市へ移住すると決めたのも、「子育てする環境を変えたい」「親も子ももう少し自由に暮らしたい」という思いからです。
江田島市へ移住するとなって、一番最初に保育園が決まりました。
自分たちが住む家も決まる前にです。
これが転機となりました。
江田島市へ移住することが確定し、「さてどういう働き方をしようか?」と考えた際、主に在宅で時々コワーキングスペースなどでできる仕事が良いなと考えたのが最初です。
ブログを通じて子育て情報を発信し、必要な人のもとへ届けること。
私個人のレベルでできることは限られているかもしれませんが、声を上げないよりはいいだろうと。そんな思いもあります。
私が長男を産んで、最初にぶち当たったような壁や孤立感はこれからの子育てに必要のないもの。
少しでも社会が「子育てしやすい社会」になってほしい。そんな気持ちで運営しています。
移住してからブログ開始までの道のり
移住直後~3ヶ月くらいの話
夫の仕事転職をきっかけに、私たち家族の様々な境遇が重なって、広島県江田島市にご縁があり移住してきました。
しかし、移住してからしばらくは慣れることに精一杯でした。今まで住んでいた東京都や神奈川県とは大きく環境が変わります。呼べば来てくれる距離にいた両親身内もいない、友達もいない。相談できる人もいない。孤独でした。
今思えば声をかけてくださった方々はたくさんいらっしゃいます。江田島の方々はとても優しく受け入れてくれました。ただ、あの時の私自身にそれを受け入れる余裕がなかったのだと今は思っています。
「私が全部やらなければならない」と、ずっとアドレナリンが出続けているような状態だったんだと思います。
いつしかちゃんと笑えなくなり、ひとり自宅で大泣きしてしまうことが増えました。
子供たちと一緒にいても楽しくなく、何より子どもたちのことを「かわいい」と思えなくなっていました。
「ひとりになりたい」「疲れた」「自分がやらなきゃいけない」「私がつぶれるわけにはいかないんだ」と歯を食いしばる毎日。
そういう私自身の状態を一番近くで見ていたはずの夫には理解してもらえませんでした。
私が辛いときに限って大喧嘩になり、「何のために移住してきたんだろう?」「私、なんでここに一人ぼっちでいるんだろう?」と孤立した感覚はより深くなっていきました。
今思えば、夫自身も新しい環境に慣れることで精いっぱいだったのだろうと想像できますが、当時の私にはそんな余裕は全くなかったのです。
子どもたちも、そういう親の気持ちが伝染するのか?やはり慣れるまでにストレスもあるのでしょう、相次いで病気をし、通院と看病の日々が続きます。
特に2歳の二男には精神的にも身体的にもストレスが大きかったのでしょう、高熱や嘔吐などしんどい症状に陥ることも多かったです。
パニック発作を起こして入院
そうした疲労のツケがついに私へまわってきます。
過労からなのかパニック発作を立て続けに2回起こして入院しました。
診断名は「抑うつ神経症」。最近では「気分変調障害」というそうです。
この時の入院時の備忘録はこちら>>過労によりダウンした話/note
夫婦の溝はより深刻化
この入院中にも、夫婦の溝は深まるばかり。
移住して環境を変えて、夫婦関係も家族関係も少しでも改善すればいいと思ってきましたが、この時ばかりは離婚を真剣に考えました。
「私の帰る場所はあるのだろうか?」と不安にもなりました。
子どもたちと離れ離れの入院生活に加えて、夫婦関係は最悪となり、夫からの連絡も減り、子どもたちが今元気なのかどうなのかさえ情報が入らなくなりました。
この時、病院のソーシャルワーカーさんと、夫の職場の先輩に支えてもらいました。
御二方がいなかったならば、今の私はここにいないかもしれません。
そうしてこじれた夫婦関係をどうにかしなければ…と、話し合いの場を設けることになりました。
先ほどのソーシャルワーカーさんと夫の先輩にに間に入ってもらい4者間で話をしていきました。
私にとっては、病み上がりで体力の回復もままならない状態の中での辛い辛い話し合いでした。今でもこの時の痛みは忘れていません。
ですが「子どもたちのもとへ私は帰りたい」と、その一心で戻る決意をしました。
西日本豪雨災害による断水
しばらく入院した後、なんとな無事に退院し子どもたちのもとへ帰ることができました。
ですが、まだまだ体力の回復には程遠く、子どもたちを保育園へ預けて自宅で休養を取るような状態でした。
そうしてやっと、元の生活に戻れるかどうか…と思った直後に広島県・岡山県などを襲った西日本豪雨災害が起こります。
豪雨の日、わが家も浸水の危険を感じて一時的に避難所へ駆け込みました。
わずかな時間でしたが、人生で初の避難所生活です。
幸い、わが家は浸水を免れどこも壊れることはありませんでした。
しかし、断水生活は続きます。
退院直後だったため私の体調や子供達のことを考えて、やむなく一時的に実家の東京へ避難をしました。
夫はひとり江田島に残って仕事を…。ここでも私自身は冷静に夫との今後の生活をどうしていくべきか?を考えていました。
そんなこんな、離ればなれの生活を1ヶ月ほど送り、ようやくどうにかまた江田島へ戻ってきたのです。
帰ってきてから、島の皆さんに
「おかえりなさい!👋😊」
と言っていただき、とても嬉しかったです🍀
江田島へ戻ってきてからの暮らし
そして、ようやく落ち着いて江田島での暮らしをスタートしました。
ブログの設立も移住してから半年以上経過してしまいましたが、この頃から少しずつ開始しました。
今は自分の心身バランスと子供達の体調など家族みんなの調子を整えつつ、私にできることをできる限りするように心がけています。
故に、マイペースです。どうか生ぬるく見守ってください。
更新頻度が落ちる場合もありますが、そんなときもあるよねと思っていただけると幸いです。
今後の夢と目標
まずは自力で稼ぐ力をつける
当面の目標はここです。
ここを一点突破して、継続的に自分の力で稼げるようになること。
そして稼げるようになり生み出したお金を、然るべきところへ循環させること。
大事なことと考えています。
産婦人科設立&ママのコミュニティスペースも!
夢は、江田島に産科・婦人科をつくること、お母さんがほっとできる場所を作ること
江田島市に移住してきてまず最初に驚いたのが【産科婦人科がない!】ことでした。妊婦さんはお隣の呉市や広島市まで車や船で行かないと健診も受けられません。
そのせいなのか、島で小さな子どもを連れているお母さんは見かけるけれど妊婦さんあんまり見ないなぁ…と。
以前は助産院があったそうですが、今はそれもないのが現実です。
きっかけ
また、あるとき子どもたちの通う保育園の発表会で、年長さんの女の子が
「私の夢は助産師になることです。」
と発表しているのを見て、ハッとしました。
彼女の夢は、今の江田島では叶えることができない。そうなると、この子はいずれ江田島を出ていくことになる。
島で助産師として活躍する場があれば、生まれ育ったこの島で彼女の夢もかなうのではないか…。
そう思いました。
「助産師になりたい」と言った彼女の夢は私の夢になりました。
可能性を秘めた江田島市の子育て環境
このブログの主旨とはずいぶん遠い、飛躍した夢だなぁと我ながら思います。
無謀なことなのかもしれません。もしかしたら、元々江田島市に住んでいる方々からすると望まないことなのかも。
その辺りは今後慎重に見極めていきたいと考えています。
でも。
- おかあさんが安心してお産ができて
- 新しい命が安心して産まれてこれて
- それを支える医療環境が整っていて
- それを支える人たちがいたならば。
そう考えると、とてもワクワクします。
現在ものすごい速さで過疎化高齢化の進む広島県江田島市ですが、おかあさんとこどもが幸せに暮らせる環境があると私は考えています。
広島市という大都市に近いけれど、自然環境は抜群で暮らすひとたちも皆さん温かいのです。
「おかあさん」に寄り添ったサポートの充実
またブログだけではなく、
- お母さんの妊娠中
- 赤ちゃん出産~出産後
- 赤ちゃんのお世話期間
- 親としてこどもたちの自立までを支える期間
こうした子どもの成長とともに変化していく「おかあさん」に寄り添ったサポートを生涯一貫させて充実させていきたいと考えています。
子供達が大人になって自立したあとも、仲間友達よき友人のような関係を維持していけたら素敵だなぁと。
そういったコミュニティがあれば、何かあった時に頼れる先としても機能できます。
ゴールまでは果てしない道のりですが、まずはできることから。
まずはこのブログがスタートです🍀
どうぞよろしくお願いします☺✨
from すなおたまき
