※今回もTwitter企画 #3000文字月曜日 #3000文字チャレンジ に参加しています。
おはようございます、こんにちは、こんばんは。すなおたまき(@office_sunao)です。
今回もまたむくむくと書きたい欲が増してきたので参加させていただきます。
本日のお題は #3000文字月曜日 。
今までの私の人生と共にその当時の「月曜日」を振り返ってみようかと。
100%自分語りです(キッパリ)。要らんと思う方どうぞどうぞスルーしてください😆
でも、もし良かったら暇つぶしに読んでください。喜びます。私が!😆
それではさっそくいきましょう!
中学生時代、バスケ部の定休日は理不尽からの解放だった
「あぁ~、やっと月曜日か。」
中学生の頃、私は部活一筋な生活を送って居た。
「うちは、月曜日が完全定休日だから。これは絶対!」
入部の際、バスケ部の顧問に言われた言葉。
だから、月曜日が待ち遠しかった。
所属していたバスケ部は、当時やる気満々だった顧問のおかげで強豪となり、結果を残すようになっていた。
ひとつ上の学年は顧問が担任として受け持った学年。都大会・関東大会と成績を残し、全国大会に出場した。
しかしその内情は、今なら一発で退職・訴訟ものになるであろう暴力体罰虐待の横行する現場。
先輩が試合中にラリアットされたり、同学年のメンバーがコート上でコート横で体育館裏でボコボコにリンチされるのが当たり前の空間だった。
強いけど。
今考えてもあの光景が「当たり前」で、その事に「おかしい」と異議を唱えられない状態は異常だったと思う。
顧問の指導スタイルは、ひっぱたいて叩いて従わせて、メンバーをランク分けしていくもの。
スタメンはほぼ固定で、どんなに頑張っても報われないベンチにすら入れないメンバーもいる。
必ずひと学年に1人お気に入り(=大体その人がキャプテンになる)をつくり、そこから統率をはかる。
当然それによって子どもたちの中には不協和音やストレス、摩擦が生じる。
それに対しても子どもを使う。
「がん細胞」とレッテルを貼ったり「チームの信頼を裏切った」と最もらしい理由をつけて、槍玉にあげて、殴る。
そちらへ怒りをぶつけて、見せてアピールする。
何をするにも暴力を使う人だった。当時のことを思い出すと、今もまだざわざわする。
あれは虐待だったんだなと思う。
今になって、「何故辞めなかった?」と自分に問うてみたけれど、結局は長いものに巻かれたのだ。
単純な理由だが、人間は暴力を振るわれたりそうした現場を多く目にすると思考停止に陥る。
「辞める」と言えば全力で阻止される。
「何故辞めたいのか?」なんて理由は聞いてもらえない。
問答無用で洗脳された部員たちから「辞めるな」と言われる。
なんで辞めちゃいけないかって?
バスケ部の和が乱れるから、団結していないと足元すくわれるから。
今考えると「なんだそれ?」だが。
私自身は、辞めたあとのことが怖かった。
部活動を辞めると何もすることがない(よく考えればそんなことは無いんだけど)。
多分辞めたらそれまで仲間だと思っていたメンバーからシカトされ、その存在自体をなかったことにされてしまう。そんな気がしていた。
結局、それが全てと錯覚し道を踏み外してしまう感じがして、怖かったのだ。
先生たちも「部活やってなんぼだろ」って態度。
学力よりも運動能力や体育会系組織の中で素直に従うことを求められた。
そこから「外れる」のを恐れたのだ。
長いものに巻かれストレスを感じながら、コミュニティを抜けるための勇気もなくそこにいた。
あと、バスケットボール自体はもともと好きだった。バスケができなくなる環境の変化も考えられなかった。今考えたらきっとそんなこともないんだけどね。
だから、月曜日の部活動完全定休日はそんな毎日からの解放だった。
そんなバスケ部にいて、よかったこと。
鬼のように練習していたから、基礎体力だけはついた。お尻はサラブレッドの様に引き締まっていたし、走り込みしていたおかげで体育祭やマラソン大会では活躍できた。技術的なこともひたすら同じことを反復させられていたから、上達する。
でも。
結局ああして思考停止していた「時間」は戻らない。
「月曜日」ときいて思い出すのはまず、あの頃の私。
あの頃の自分に、いま声をかけるとしたら…。
「大丈夫。部活動に行かなくても良いんだよ。学校に行かなくてもいい。」
「大好きなバスケットボールをそうまでしてやっても、結局バスケットボールが嫌いになってしまうよ。」
「世界はひろい。学校だけがすべてじゃないんだよ。」
「本を読んだり、考え事をしたり、好きなところに出かけたり、旅することもいいね。」
「独り、は怖くないよ。ひとはみんな孤独なんだ。そんな時も必ず、あなたを支えて見守ってくれるひとはいる。」
「部活動だけがすべてじゃないから。」
「でも、本当によく頑張ってるね。」
そうやって幼い私を抱きしめると思う。
社会人デビュー当時の月曜日に見る甘え
社会人でOLしてた頃の月曜日はまるで暗闇を彷徨う感覚だった。しかしそれは、自分自身が作り出した幻想のようなもの。
要は甘えていたんだ。
大学を卒業し、就職活動で「合格」をもらった会社に入った。
超就職氷河期、なかなか決まらず焦ったけどどうにか卒業するまでに決まった会社。だから、縁があったとか会社と自分が対等なイメージはなくて、「採用=合格」「採ってもらった」「拾ってもらった」「会社の下にいる自分」という感覚だった。
同期には恵まれた。会社を辞めた今でも繋がっている大切な人仲間たち。彼らがいなかったら、私はもっと早くに会社を辞めていたと思う。
配属部署での業務内容は、個人の裁量に任せられた部分が大きかった。新人でも、それなりの責任をもって仕事できるのが楽しかった。
直近の上司や先輩に嫌な人はおらず、思い返してもつくづく「ひと」には恵まれているなぁと。私は昔から出会う「ひと」の運がいい。これは自慢。
しかしそんな「ひと」に恵まれた環境だったにも関わらず、月曜日ともなるとその足取りは重い。
最寄り駅までの坂道をのそのそと歩いていたのを思い出す。
「こんな生活があと何十年と続くのか」
「どうにかして逃げ出したい」
「疲れたなぁ(まだ月曜日の朝だけど)」
「家に帰りたい(まだ自宅にいるけど)」
といった具合。
口をついて出るのは愚痴ばかり。自分は大きな組織に属し、何かしら小さな部品となって歯車の一部と化した·····とひねくれたものの見方をしていた。
「私の代わりなんていくらでもいるんだ。」
「私なんていてもいなくても困らないだろう。」
そんなことをぼんやり思いながら仕事していた気がする。自己肯定感ダダ下がり。
あの時なぜそういうネガティヴな心理状態に陥っていたのか考えていくと、私は私自身に嘘をつき妥協してラクをして働くことを選んだからだという結論に至る。
そして無知だった。今よりもずっと、知らないことを恥とも思わずそのままにしていたんだ。
今、当時の私に声をかけるならこうだ。
「バカタレ!」
「人にも仕事にも恵まれて、お給料ももらえて良いじゃないか。」
「ワガママ言うなら何故もっと突き詰めて考えて主体的に動かなかったんだ?」
「自分が妥協したことに責任持てよ。自分で消去法で労働条件が良かったから、その会社選んだんだろ?」
「嫌ならとことんまで考えて、やり甲斐を感じられる仕事を探せば良かったんだよ。」
「自分の人生なんだから、もう一度しっかり考えてみなよ。自分でこれがいいって思って決めた仕事なら、そんな気持ちにはならないよ。」
甘いものでも食べながら、雑談しつつ、こんな説教をする。
多分ケンカになるだろうな(笑)。
百獣の王さながら 美しい彼女と私の後悔
空手の「先生」をさせてもらっていた頃の月曜日について話をしたい。
当時は、毎週月曜日の夜に道場で子どもたちの「少年試合クラス」を担当していた。
このクラスには「組手の試合で結果を残したい、頑張りたい」という熱心な子どもたちが通う。
当然ハイレベルな内容になるし、ガチンコ勝負も増える。
私自身も「試合で勝ちたい」という彼らの思いをどうにかカタチにしてあげたかったので気合い入れて指導していた。
そんな気持ちを知ってか知らずか、当時破竹の勢いでめきめきと実力をつけ常勝街道を突き進む女の子がいた。
彼女がまだ幼稚園児だった頃、「一緒に空手やらない?」と声をかけたのは私。
お兄ちゃんが先に空手をやっていて、その付き添いでお母さんと一緒によく道場に顔を出していた。
誘われて、はにかむ笑顔が可愛らしかった。
何となく私には「この子は強くなる」というイメージがあった。
入門してしばらくした頃、彼女は「試合クラスに出たい」と志願してきてくれた。
聞けば「出る試合全部優勝したい」のだそう。彼女はそれを成し遂げるだけの実力があったし、そのやる気をどうにか生かしてやりたかった。
組手スタイルはまさに真っ向勝負。その一歩もひかない姿はまるで雄々しいライオンの様。長い髪が鬣のように輝いていた。
彼女の戦う姿は、本当に美しかった。控えめに言っても、最高にかっこよかったんだ。
やがて彼女は本当に出る大会・試合全てで結果を残すようになっていく。
この先もずっと彼女は輝き続けるだろうと信じて疑わなかった。
しかし私にも彼女にも、ふとした転機が訪れる。
私は夫と結婚・妊娠。ぎりぎりまで働いたけど、結局退職することになった。
その時、彼女は思春期にちょうど差しかかる年齢になっていて、身体も心もとてもデリケートな状態だった。
私が退職して以降、おそらく彼女は本音を話せる気軽に相談できる指導員がいなくなってしまったのではないか。
師範やほかの先生も彼女のことはみんな気にかけていたけれど、彼女自身がとてもシャイなので心ひらけなかったのではないか。
学年があがるにつれ、彼女は徐々に勝てなくなっていった。
見かねた師範が、彼女自身の奮起を狙って昇段審査を受けるよう促したのだけれどそれもうまくはいかなかった様だ。
島に移住する直前、彼女はお母さんと兄と共に会いに来てくれた。
背丈は私を優に超えてすらっとしていたけれど、話すと中身は変わらずシャイなまま。可愛いかっこいい彼女のまんまだ。
当時のことを、お母さんと彼女と振り返りながら話す。
やはり私が突然いなくなってしまったことで、空手に対するモチベーションも少しさがってしまった様だった。
直接そうだとは言わなくても、分かる。
本当に申し訳ないことをした。
せめて、フェイドアウトするにしても学業に専念するとしても、黒帯は取らせてあげたかった。
タイミングが合わなかったから仕方がない。
そうかもしれない。
でも、彼女にとって空手は「いい思い出」になっているだろうか。
思い出すとちょっと苦しくなるような、挫折の記憶に成り下がってしまったかもしれない。
そうだとしたら悔やまれる。
最後まで彼女を責任もって指導できなかったことが申し訳ない。
常勝、最強だった彼女。
あの頃の輝いていた自分を、どうか覚えていて欲しい。
あれだけ勝ち続けることは、そうそうできることじゃないんだ。
今では疎遠になってしまった子どもたちもたくさんいるけれど、彼らの人生に1ミリでもいいから空手が役に立っていたらいいなと願う。
毎日彼らに空手を教えていたけれど、一番教わることが多かったのは私自身。
改めて、私の拙い指導に通ってくれた事に御礼を言いたい。
「ありがとう。ごめんね。」
「よくついてきてくれたね。」
「身体と心を、大事にしてね。」
彼らの人生にピンチが訪れた時、空手で培った何かしらの経験が助けになりますように。
子供を産んでから月曜日の感覚がなくなってしまった
結婚した夫は不規則な勤務で夜勤のある仕事をするサラリーマンだった。
妊娠して仕事を辞めて出産したら、もうずっとずっとひたすら赤子とがっぷり四つで向き合う毎日。
授乳や夜泣きで昼も夜もない生活を続けていたから、今日が月曜日なのかなんなのか今何時なのかさえ感覚がなくなった。
寝たいときに眠れない。
これは想像以上にきつかった。
加えて産後の体調回復も芳しくなく、しんどい身体と心で赤子と向き合った。
狩野さやかさんの著作「ふたりは同時に親になる」が、当時の私のメンタルそのもの。
急激に激変した生活環境に猛烈なストレスを抱えて、でもその正体がいったいなんなのか当時の私は自分の気持ちのもやもやを可視化できずに、ただただイライラもやもやするばかりだった。
当然、夫とはうまくいかない。
しんどいけど、その気持ちをどう伝えたらいいのか分からないし、そんなことを考える余裕すらまったくない。赤子の命を守ることで精一杯。
当時の私に、今の私から声をかけるならば。
何も言わない。
その代わりずっとそばにいて、寄り添う。
赤子が泣いたら代わりに世話をする。
一緒にその小さな命を守る存在になろうとする。
ひとりぼっちでちいさな命の管理責任者は、しんどすぎるから。
肩を抱いて、横にいたい。
疲れた彼女(=あの時の私)をずっと見守っていたい。
最近の月曜日は感謝の気持ち
江田島に移住してからは、子どもたちが保育園に行くようになった。
保活で落ちて辟易することもなく、なんなら今住む家より先に保育園が決まった。
子どもが少なく、閉園と合併か相次ぐ地域。でも子どもたちの行く先がすんなり決まったことは、私のストレスをひとつ減らしてくれた。
だから今は、週末に家族みんなで過ごして、月曜日から夫と子どもたちを送り出す。私も家事して仕事する。
ぽつんとわが家にひとりになると、少しほっとする。
今日も家族みんな健康で各々の場所でがんばることができる。
私も仕事ができる。ありがたい。
そりゃあ子どもたちは「保育園行きたくない~」とぐずることもあるけどね。
そんなゆううつな気持ちにも「分かるよ~」と共感しつつ、「でも、みんなお仕事だからね~」と促すしながら行く。
もしかしたら「保育園に行きたくない」ということは、週末家族で過ごした時間が快適だったのかな。だから離れたくないって気持ちなら嬉しいな。とか。
子どもたちも、毎日保育園でがんばっている。
彼らなりに精一杯やって、保育園生活をおくっている。
元気で保育園に行ってくれて、ありがとう。一緒にがんばろう。笑顔でバイバイ。
子どもたちを送り出したあとの私自身に声をかけるならば、
「お疲れ様!今日も佳き日を🍀」
「いつもありがとう🍀」
だな。
私にとっての月曜日
こうして書いてみると、その時々の記憶の中にある【月曜日】は佳き日にも悪いと感じる日にも成りうる。
私にとっての【月曜日】は、これまでもこれからも淡々と続いていくもの。
佳いと感じるときも、悪いと感じるときもある。雨の日も曇りの日も風の日も雪の日も晴れの日もある。
【月曜日】を迎えることは、当たり前なのではない。小さな【奇跡】が重なってできているのだということを忘れたくない。
ひとが生まれて生きていくということは、こうした【奇跡】の繰り返し。
小さな連なりがたくさん混じり合いながら、その人の人生を作りだす。
私は今、子どもたちと出会うことができてしあわせだ。
共に生きてまた【月曜日】を迎えたい。
【月曜日】。結局6000文字以上書いちゃった(笑)2~3記事出来るじゃん(笑)
最後までお読み下さりありがとうございました。