おはようございます、こんにちは、こんばんは。すなおたまき(office_sunao)です。
今回もまたTwitter #3000文字チャレンジ 企画の #3000文字私を熱くさせたもの に参加しました。
やっと、他の方々に追いついた~✨
さて、今回のお題「熱くさせたもの」。
私にはこの一択しかありませんでした。
またしても空手、またしても自分語りの自分大好きブログですが、お付き合いくださると嬉しいです。
それでは、どうぞ!
私が熱くなったもの
私が今までの人生の中で「熱くなったもの」といえば、極真空手しかない。
また空手かよって感じだが、本当にそれしかないので書くことにする。
24歳。当時は東京の飯田橋で働くOL(言い方古い?)だった。
始めた動機、表向きは「健康管理」「ダイエット」。
でも、実は何となく自分で自分がちゃんと「生きている」かどうか実感できる場が欲しかったんだと思う。
師範にはよく、「貴重な20代を(無駄に)空手に費やしている。」とからかわれた。
でも、当時の私にとって極真空手はなくてはならないものになっていて、空手をやらない生活がどんなものなのか想像もできなかった。
大学時代、アルバイトに明け暮れて仲間とワイワイ楽しみながらやっていた。それはそれで楽しかったけれど、何かに必死こいて打ち込むことはなかったし、今思い出そうとしてもぼんやりとした記憶しか残っていない。
そんな私の人生を、良くも悪くも(?)大きく変えた極真空手。
今日はまたお得意の自分語りをしながらの、思い出話になりそうだ。
極真空手との出会い
当時会社勤めをしていた私は、日頃の運動不足ときちんと分煙のされていないオフィス、しかも喫煙室のすぐ隣という最悪の場所で仕事していたせいもあり、体力低下と共に肺炎になってしまった。
肺炎は辛かった。
咳と発熱、なかなか治らず結局一週間ほど入院した。
退院してからも、風邪をひくと必ず咳が残る。
なかなか治らず「咳ぜんそく」と診断されることもしばしばあって、今も時々苦しむことがある。
どうにかこうにか退院したものの、こりゃ本格的に体力づくりしていかないとまずいと痛感した。
そこから私の「体力づくり」に向けた場所探しが始まった。
スポーツジムじゃダメ
まずは職場近く、自宅近くのスポーツジムに行ってみた。
設備も整っていたし、キレイだし、単純にランニングしたり筋トレするにはいいなぁという印象だった。
でも、飽きっぽくて続かない性格なのですよ。
自分で「これは継続せずに途中で辞めてしまうだろうな」と感じた。
次に探したのは、その頃流行っていた格闘技系の道場やジムなど。
当時、好きだった女子ボクシングに「ライカ」という名前の選手がいた。
テレビで見るだけだったけれど、彼女の戦う姿や練習に明け暮れる様子を目にして、
「私もやってみたい」
と思うようになった。
なので、あちこちボクシングジムも探してみた。
けれど、どうにも仕事のスケジュールと合うところがない。
「どうしようかなぁ」
と、思っていた矢先。
地域のミニコミ紙が自宅に届いていて、そこに最近極真空手の道場が近所にオープンした記事が掲載されていた。
「これだ。」
直感で思った。
さっそく連絡して、翌日には体験に行った。
初めての稽古
無料体験は、ジャージにTシャツで参加したように思う。
ぼんやりとしが覚えていないけれど、とにかく滝のような汗をかいた。
そして、基本の稽古の動きにまったくついていけなかった(笑)
学生時代、大概のスポーツは無難にこなせたし、特に球技は大体見様見真似でできた。
これまでの人生で、「できない」という体験をあまりしてこなかった私にとって、「できない」は衝撃的だった。
でも、その「できない」が最高に楽しくて、稽古を繰り返していくうちに少しずつ少しずつできるようになっていく。
その感覚がワクワク楽しくて、どんどんとのめり込んでいった。
スナイパーの出現
そんなこんなで入門し、道着を持って仕事へ行き、終わったらいそいそと道場に向かう日々が続くようになった。
稽古には、本当に色んなひとがいた。
今思い返しても、バラエティに富んだ個性的なメンバーがずらりと揃っていた。
ひとりひとりが強烈で、よくあのメンバーを師範は許してまとめていたなぁと感服する。
そんな個性的なメンバーの道場に、ある時「スナイパー」と呼ばれるおじさんが現れた。(正確には誰かが勝手にあだ名をつけただけ)
どうやら他流派ですこし空手の経験があるらしい。
終始ガチガチ。力みの取れないひとで、脱力とは無縁の超合金ロボットみたいなひとだった。
極真空手では、「組手(くみて)」といって、手足膝すねなどに防具をつけて殴り蹴り合う対人稽古がある。
普通ならば体格差や力の差も考慮して、相手が女性子供ならば多少なりとも手加減すると思うのだが、「スナイパー」は違った。
どんな相手にも全力でかかってくる。
これはやばい。
かなり危険。
大の男に蹴られてあばら骨が折れたなんてことになったら、稽古ができない。仕事にも支障がでる。
この頃の私は多少なりとも稽古を積んでディフェンスもできるようになってはいたが、スナイパーとの組手は非常に警戒した。
組手でスナイパーと当たるときは、本気で気合い入れていかないとやられてしまう。
そして組手が始まると本当に本気で蹴ったり殴ったりしてくるので、まだ若かった(?)私は「ふざけんなこの野郎」とばかりにマジギレし、スナイパーに殴りかかっていく。
ガッチガチの本気勝負を繰り広げた。
スナイパーの弱点。
それは「スタミナ(持続時間)がない」こと(笑)
私は彼よりは持久力があったので、凌いで凌いでスナイパーの動きが鈍ってきたところを一気に畳み掛ける戦法をとっていた。
スナイパー(=ただのおじさん)を相手にするのは本当に大変だったけれど、今でも話題になるくらい強烈な爪痕を残して、いつしか去っていった。
押忍の弊害?
極真空手では、返事は「はい、いいえ」ではなく、すべてが「押忍」だ。
押して忍ぶ。
つまり、YESしかない。
先輩からは「押忍五段活用」なんてのがあると教えてもらった。
- おす(通常モード)
- おす?(なんですか?)
- おぉす(はい、分かります)
- おーす(はいはい分かりましたー。知らんけど、やだけど)
- おす!(YES、I can!)
なんて使い分けがあった。合っているかは分からんけど。
もとい、本当の意味は3つある。
- 尊敬(相手を敬う)
- 感謝(感謝の気持ちをもつ)
- 忍耐(忍耐をもってして取り組む)
そうした意味を込めて「押忍」と挨拶・返事をするのだ。
最初の頃は、「おす」と言うこと自体恥ずかしかったのだけれど、極真空手にのめり込むのと同じくして「押忍」という言葉にも慣れていった。
ある日、会社で上司から呼び止められた際に
「おす!」
と返事してしまうくらいには(笑)。
ちなみに私の先輩は、自分の結婚式の際大きな失敗をしている。
神父様の、誓いの言葉にこたえるとき
「汝は~に、誓いますか?」
のくだりのあと、思いっきり
「おす!」
と言ってしまったそう(笑)。
これは一種の「押忍」の弊害なのかもしれない。
極真黒帯三倍論?わが師範のお人柄
私が所属していた道場は、師範がとてもフランクな方だった。
私たちの立場に降りてきてくれるとても強くて優しい御方。
なので、多分他の道場とはひと味もふた味も違う雰囲気の支部だろうと想像する。
極真空手の帯。それは圧倒的な上下関係の上に成り立っている。そのヒエラルキーは絶対だ。
白帯からはじまって、昇級審査を受けて合格すると帯の色が変わっていく。
「空手バカ一代」という漫画をご存知の方には通じるかなと思うけれど、黒帯ともなれば他流派空手や他の格闘技系の黒帯の3倍は強くなければならないという。
俗に言う「極真三倍論」。
なので、自他共に認める「黒帯」として相応しい実力と人格が備わっていなければならない。
だから、当然後輩の道場生からは憧れと尊敬の眼差しで見られることになる。
·····のだが、師範はそういう一種の近寄り難い恐れ多い雰囲気がなく、言い方はとても失礼かもしれないが「優しい兄貴肌」な御方だった。
明るくて、強く優しい。太陽のようなひとなのだ。
私が極真空手から得たもの
私がこれまで極真空手を続けてこれたのも、ひとえに師範が忍耐強く私を見守り育ててくださったおかげ。
私が極真空手と、毎日の稽古、試合、それを通じて関わってきた方々から得たもの。
それは
- 自己肯定感
- 自信
のふたつ。
これまでの私に足りなかった、ふたつ。
師範という圧倒的な土台に、たくさん方々が水と太陽の光と栄養を注いでくださったおかげで私の小さな花が咲いた。
かけがえのない、大切な花。
多分「生きている」って実感がなかったのは、このふたつが私の中で足りていなかったからではないだろうか。
辛かったときも、逃げ出してしまいたいときも、迷いすぎて泣いたこともあったけれど、極真空手を10年以上真剣に一生懸命続けてきてよかったと思っている。
私の人生において、極真空手は唯一無二だ。
改めて、空手の神様に感謝。師範はじめ、関わってくださった皆様方にも、ありがとうございます。
そして、最後までお読みくださったあなたにも、ありがとうございます🍀
特にこれといったオチも無いけれど、ここまで熱くなれることって人生で何回もないと思うんだ。