江田島

江田島でできた初めての友達

おはようございます、こんにちは、こんばんは。すなおたまき(office_sunao)です。

今回もまた少し遅れての投稿ですが、Twitter #3000文字チャレンジ 企画の #3000文字井戸 に参加しました。

江田島市には多くの井戸が残っており、西日本豪雨災害のときに私はそれを知りました。その時のお話です。

少しでも江田島市を知るきっかけに、西日本豪雨災害のことを忘れないためにも、と思って書きました。

もし良かったら読んでみてください。

江田島には現役の井戸がある

江田島にはまだ現役の井戸がたくさんある。

私がそれを知ったのは、奇しくも西日本豪雨災害の時だった。

あの日、一時的にとはいえ避難所に駆け込んで不安な時を過ごした。

どんどん水位があがる田畑や周りの道路を見て、子どもたちふたりのことを考えて「これは逃げ遅れたらやばい」と判断した。

結果として、わが家はかろうじて浸水を免れ無事ではあったのだが。

一夜明けてみると、数十メートルの差で浸水した家もたくさんあって、地域によっては道路が寸断されたり山が崩れたり。

実際にがっつり水没してしまった家屋も少なくない。

そして始まった断水生活。何もかもが初めての経験だった。

江田島市の水道事情

江田島市は、島だからなのかその約8割を呉市や広島市から受水している。

島独自の浄水場や水源がないわけではないけれど、それで島の水すべてをまかなうのは到底不可能な現状。

それまで、水のことなど気にもとめない、水のある生活が当たり前の暮らしをしてきた私。

正直、この断水はとてもしんどかった。

断水のつらさ

あの日の豪雨があって以降、今度はまったく雨が降らなくなった。

電気とガスは大丈夫。でも、暑い日が続いて「水がない」という状態は地味にダメージが蓄積していった。

トイレの水、お風呂、洗濯、食器洗い、飲料水·····すべてが思い通りにならない。

子どもたちも水浴びか、タオルで身体を拭いてやるだけ。汗疹や肌荒れも目立つようになる。

保育園も、給食が届かない、トイレの水は近くの小学校のプールまで取りに行かなきゃならない。

普段と違う先生達の様子に兄弟ともに敏感に反応してしまい、行くのを不安がり泣き出してしまう始末。

買い物に行けば、道路寸断の影響で品薄状態。みんながみんな地味にイライラしていて、あぁやっぱり異常事態なんだなぁと感じていた。

このまま断水が長期化すれば、子どもたちはきっと体調を崩してしまう。そんな心配が日に日に増していった。

かよこさんと井戸

そんな時、隣に住むおばあちゃん、かよこさんが

「うちの井戸水を使いんさい。」

と言ってくれた。

飲み水としては使えないけれど、洗濯や風呂などある程度の生活に使うには大丈夫とのこと。

井戸水を利用した洗濯、食器の洗い方、子どもたちの水浴びなど活用方法も教えてくれた。

御歳90で、ひとり暮らし。自分のことだけでも大変なはずなのに。

かよこさんは耳が悪く、かなり近くで話さないと聞こえない。

あの大雨の日、私たちが避難する時にかよこさんも一緒に逃げようと家の中を覗いたけれど気配がなかったのでもうひと足先に避難したのかと思っていた。

が、実際は奥の部屋にこもってじっと雨があがるのを待っていたそう。

飲み水や身の回りのこと、最低限数日は生きられると自分で判断してそうしたようだった。

改めて、戦争もくぐり抜けてきた世代のひとは凄いなと思った。

断水後数日の生活

この頃は、防災無線がなりっぱなしで、情報をもらえるのは有り難いけれどそれがかえってストレスになりしんどいと感じることもあった。

常に「今は異常事態です!」と言われているような気持ちになって、不安だった。

どこか落ち込む様な気持ちにもなるけれど、子どもたちは守らなきゃと必死で気を張っていた。

そんなことを知ってか知らずか心配してくれて、

「うちのお風呂、井戸水だから使っていいよ」

「洗濯物もしにおいで」

と言ってくださる方や

「今は異常事態だけど、どうにか一緒にがんばろう」

「こっちは大丈夫、すなおさんたちも無事でいてね」

と、お互いの近況を報告し合う仲間もいて救われた。

異常事態の中、かよこさんの暮らしぶり

私が慣れない断水生活に不安を抱えてオロオロしていた頃、

隣のかよこさんは淡々と生活し生き延びることを最優先にしているように見えた。

耳が聞こえない分、自分でできる範囲のこと、身の回りのことを整える。周りを気遣い、助け合いながら生きていた。

私は豆腐メンタル&直前まで体調不良で入院していたので、助けてもらってばかり。

不安な中でかよこさんとの助け合いはなくてはならないものになっていった。

暑い日。

かよこさんの井戸に行くと、かよこさんも来ていてお互いの話をする。

耳が悪いから完全に伝わったかどうかは分からないけれど、お互いに顔を近づけてコミュニケーションをとる。

こうしたやり取りがあるだけで、なんかほっとした。

きっと昔のひとはこうして何かしらの用があって井戸に集まり、文字通り井戸端会議をしてコミュニケーションをとっていたんだろうなと思う。

ほかにもかよこさんの井戸水を使わせてほしいという方が来て、お互いの近況を話したり、励ましあったり。

名前も知らない同士だったご近所さんとこうした繋がりができて、こればかりは豪雨災害の怪我の功名かなと感じるところだった。

一時実家へ帰ることに

しかし、断水解消の目処がなかなか立たず、しかも長期化するのではないかという噂もあって、私と子どもたちは東京の実家に避難することになった。

私が退院直後だったこともあって、心身ともにまた弱ってしまうとまずいということからやむなくそういう決断をした。

夫は仕事と災害復旧作業があるので、江田島に残った。

家族離ればなれの生活。

実家でお風呂を使わせてもらった時の

「お湯が出たねー!」

という長男の言葉と喜びの表情は忘れられない。

江田島に残るひとたちのことを思う

私たちは実家があって避難出来たけれど、災害復旧作業のために何日も出ずっぱりの自衛隊、消防、警察、市役所の災害復旧要員の方々を家族にもつひとたちのことを思うと申し訳ない気持ちになった。

かよこさんも、ひとり。

時々息子さんが帰ってくるとはいえ90を超えたご老人にこの災害はしんどいだろうと想像する。

何かしたくても、自分には何も出来ない。

何かしなきゃと思って、心苦しくなる。

しばらくはそんな気持ちもあったけれど、まずは私が元気にならなければ。

子どもたちを守って、また江田島に戻れるようにならなければ。

そう思い直したあたりから、気持ちも少しずつ前向きになっていった。

断水解消の知らせ

そうした頃、予想よりもはやく断水解消の知らせが入ってきた。

それまで島全体が余裕なく、どこかイライラしていた住民の皆さんもこの解消の知らせで少しずつ元通りになっていったように感じる。

ただ、住んでいた家が浸水してしまい元通りにならない家庭も当然ある。

そういう方々は災害時の特別措置として空き家を借りて住んだり空いていた市営住宅に入るなど、元々の生活自体が大きく変わってしまった。

私たちの住む家のご近所にも、実際にそういう方々が引っ越して来られている。今もそこに住んでいるし、完全に豪雨災害の爪あとが無くなったのかといえばそんなことはない。

道路も今はほとんど復旧しているが、まだ完全に元通りにはなっていない。

その後のかよこさんとの結びつき

いろいろあって、避難して、またいろいろあって、どうにか江田島に戻ってきた。

かよこさんは、待っていてくれた。

「戻ってきたんか、よかったよかった。」

嬉しそうに迎えてくれた。

この時から私は、かよこさんと会うと必ず立ち話をする様になった。

「柿の木が高くて実が取れない」

と言われたら、一度も使ったことのない高枝切りバサミを四苦八苦しながら使って取ったり、

「買い物に連れて行って欲しい」

「病院に連れて行って欲しい」

と言われれば、一緒に行って付き添った。

律儀なかよこさんは、そんな御礼にと野菜や果物をくれたり、手作りのお惣菜を差し入れしてくれるようになった。

なんというか、倍返し(笑)有り難いことに変わりはないのだけれど。

江田島市の井戸の見直し

西日本豪雨災害を受けて、改めて水に関する江田島市の状況を見直そうという気運が高まった様に感じる。

江田島市に今も残る井戸、浄水場、ダム、水源地を整えて、今の江田島市に住む人たちの生活に馴染むような仕組みにできたならそれが理想的だなと感じる。

水道料金も高いし!(苦笑)

どこまでどう見直せるのかは分からないけれど、西日本豪雨災害で受けた傷と教訓を無駄にしないためになんとかならないものかなぁと個人的に思っている。

江田島でできた初めての友達

かよこさんには、その後も仲良くしてもらっている。

「お茶のみにきんさいよ」

と、誘ってくれてコーヒーやお菓子をいただくことも増えた。昔話を聞くのも楽しい。

昔の話、特に戦争の話をしてくれたときが印象的で、

かよこさんのぽつぽつとした話し方が、余計一層当時のことを生々しく想像させた。

「今はなにがあっても天国じゃ。」

豪雨災害なんて、大したことない。戦争に比べたらなんでもない。

毎日食べ物があって暮らしていく家があって、そういう毎日が天国だと。そう聞こえた。

こういう、戦争を切り抜けてきたひとの生きた言葉は大事に大事に生かしていかなきゃいけないなと切に思う。

先日も、しばらく留守にして戻ってきたら

「あんたの顔が見たかったんじゃあ~」

とわざわざ自宅まで来てくれた。

なんかもう、とても嬉しかった。

かよこさん。

私が島に越してきて、最初にできた大切なお友達。

いつまでも元気で、長生きしてもらいたい。

彼女の笑顔は、私の大事な宝物のひとつになった。

最後まで読んで下さりありがとうございました。

参考:江田島市企業局水道事業

http://www.city.etajima.hiroshima.jp/cms/migration/uploads/smartsection/973_no973_suido.pdf

ABOUT ME
すなお たまき
すなお たまき
2児の母。日々「お母さんがほっとできる社会ってなんだろう?」と考えながらブログ書いています。 お母さん×子育て、移住、社会、働き方、生き方に関連した情報発信を心がけています(時々ヨガ・空手・愚痴もあり)。必要なひとのところに必要な情報が届きますように。